会長メッセージ
平成という時代の終わりに
今野 勉会長
平成という時代が終る。
思えば、平成元年(1989)は、東西冷戦の終結の年であった。民主主義と自由主義が世界の主流となっていく、と誰もが思った。
新天皇・皇后は、その時代の幕開けに相応しい優しさと親しみの持ち主であった。
これも「思えば」であるが、お二人の婚礼パレードの日、昭和34年(1959)4月10日のテレビ中継の手伝いが、私のテレビ歴の始まりであった。
あの日から60年、今、平成は終ろうとしている。世人の見るところ、民主主義と自由主義は、予想に反して、ヨーロッパでもアジアでも中南米でもアフリカでも中近東でも、無残な様相を呈している。
そして、テレビも岐路に立っている。
放送と通信
言うまでもなく、「通信」というインターネットが、「配信」という形で、動画を個々人の受け手に届ける事態になってきた、ということだ。「放送」という形で動画を視聴者に届ける、というこれまでのあり方を、「通信」が脅かしはじめているのだ。
こうした状況を関幸子氏(ローカルファースト研究所)はこう表現している。
「最近では、テレビとネットを組み合わせて情報を獲得するのは当たり前で、ドラマや音楽、スポーツを、いつ、どの媒体で見るかに視聴者の関心があり、放送や配信元がどこかは気にしていない。その意味では、放送と通信の融合はすでに進んでいるのだ」(毎日新聞1月30日)
それを裏づけるのが、モバイル(ガラ系とスマホ)の世帯普及率94.8%という数字だ。おまけに、今では、ネット配信をテレビモニターで見ることも出来るのである。
放送人とは誰か
ネットの配信業者とテレビ局は、市場を争うライバル同志である。配信業者は、そのコンテンツの制作を、映像制作会社に委託する。放送局もまた、かなりの割合のコンテンツを映像制作会社に委託する。
私たち「放送人の会」の会員の多くは、放送局の出身者・在籍者か、放送番組制作会社の出身者・在籍者である。
しかし、これからは、放送番組の制作会社は、とうぜんネット配信のコンテンツも作るようになるだろう。なるだろうというよりは、そうしたいと望んでいることだろう。
「放送人の会」としては、どうするべきか。放送のライバルであるネット配信のコンテンツを制作する会社(人)は、放送人の会に入れないのか。
まあ、今の規約では「放送文化に関心のある人」なら誰でも入会できることになっている。活字メディアの人も大学の先生も評論家も入会している。
それはそれとして、問題になることはないだろうが、問題は「放送人」と枠づけることで生まれる「会の目的」は、これからのメディア状況に積極的に関われるものであるのか、ということであろう。
「放送人」とは誰のことなのか。放送人が集まって何かの目的のために活動しようとするとき、その目的とは何なのか、ということが問われることになるだろう。
遊牧民という考え方
先日、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドール賞を獲得した業績で朝日新聞社の朝日賞が監督の是枝裕和氏に授与されることになり、贈賞式に招ばれ出席した。是枝氏の肩書は「映画監督・テレビディレクター」であった。映画とテレビの境はないという氏の意思を表すものだ。そう読みあげられるのを聞いて、かつて彼が書いたある言葉を思い出した。
「放送を含むメディアは遊牧民であるべきだ」。一ヵ所に定着することなく未知なるもの異種なるものと出会い、それらを理解し学びそれによって自らも強くなりまた別の場所を求めていく。つねに動いていく―平成が終り新しい時代を迎えるための言葉として受けとめておこう。
2019年2月
放送人の会 会長 今野 勉